「Change the World」シリコンバレーでよく使われる言葉らしいです。
それを聞いて、<変えることが正義>のアメリカと<変えないことが正義>の日本の違いを感じています。
自分は日本生まれ日本育ちなんだけど、変えることが正義というアメリカの価値観にどうしても惹かれてしまいます。
シリコンバレーでは、何のために仕事をするのかという質問に対して、「☓☓をして」→「Change the World」という定型の回答があるみたいです。自分がこれに凄いシンパシーを感じるのですが、それには幼少期の体験があると思います。
「天然痘はヒトだけに感染する。ヒトなしに単独では生きられないが、結局その宿主であるヒトを殺してしまい、自分たちも生きることができない、愚かな菌なんだ。」小学校の時、理科の授業だったかでそんな話を聞いて愕然としました。
(天然痘はウイルスであって細菌ではないので、これは嘘だと後で知ることになるのですが、当時は分からなかったので、インパクトだけが記憶に残っているのですけど)
地球にとってヒトは天然痘みたいなものなのかも知れない。自分たちヒトは実はとても悪いヤツなんじゃないか?そんなことを、結局、2年位ずっと考えていたのかな。
で、自分の最終結論は「そうだとしてもヒトがヒトであることを辞めることは出来ないんだから、行き着くとこまで行くしか無いじゃん」ということになり、それが今でも続いています。
もしかしたら自分たちヒトは悪いヤツかも知れないけれど、少なくとも宿主を殺す前に、自分たちで工夫できる。ヒトは天然痘より賢い筈で、それこそが「人類の叡智」ってモノなんじゃないかな、と。
もし人類に叡智がないのであれば、人類は地球と共に滅亡するしか無いけれど、それはそれで仕方のないことなんだろうな。当時そう結論づけました。
さて、実はわたしは技術(テクノロジー)も、もしかしたらヒトにとって天然痘みたいなものだと思っているのです。
技術はすごくヒトの世の中を変えるもので、多くの場合、私達を快適にしてくれます。でも同時に私達を危険に晒すリスクある。けれど私達はテクノロジーを捨てて不便な生活には戻りたくない。そもそもどこまで戻れば安全なのか、基準すらないのです。薬物に溺れている中毒患者のようですね。
そしてやめられないからこそ、技術の進歩は更なる技術の進歩で解決することが、人類の叡智なのだと信じるしかないのだと思っているのです。
もし技術の進歩で人類が滅びたら、それはそれで仕方がないでしょう、と思っています。所詮ヒトはそこまでの存在だったということですね。
もしかしたらこの「技術の怖さ」の典型が原子力発電ですよね。
原子力のエネルギーはそれ以外の人類が扱うエネルギーと較べて一桁以上エネルギー効率が高くて、とても便利なのものですから、ヒトはこの便利さを手放すことは出来ないだろうと私は思っています。
技術がさらに進歩して核融合技術を手に入れることが出来れば、核によるリスクは霧消するでしょう。そういう核汚染フリーの未来が作れるだろうという甘い誘惑がある以上、ヒトは核技術に関わり続ける他ないのではないでしょうか。今はまだリスクだらけの核分裂の技術しか手にしていないとしても。
さてさて、自分の人生を振り返ると<変えることこそが正義>と思って過ごしてきました。 だから行き着く所まで見てみたい、といつも思っています。
アメリカはずっと好きな国ではなかったんですが、いつも何かを「変えよう!」とするカルチャーには、どうにも惹かれてしまいます。
多分自分は変わり者なんだと思いますが、<変わらないことが正義>である母国日本の価値観には、どうしても自分の居場所を見つけられない気がします。
今日も「Change the World!」って良いなぁ、と呟いています。