東京大学は日本で一番優秀な大学ですが、世界における東京大学のランクは、あまり高いものではありません。
(2018年現在、THE世界大学ランキングで46位、QS世界大学ランキングで23位)
日本社会に居る「飛び抜けて優秀な個人」の数は、世界的に見ても決して低い比率ではないと思いますが、こういう結果になる理由は、研究費・環境の両面で優秀な人を引きつける魅力が出しきれないからとか、人材が流出しているからとか言われています。
日本の最優秀な大学に優秀な人を抱える仕組みがないのは、日本社会が「飛び抜けて優秀な個人」を排除する構造だからと考えるのは極論でしょうか?
私は日本は真ん中の人にすごく優しい社会で、だからこそ優秀な人に厳しいのだと思っています。
日本(の教育)は両端の層を切り捨てて最適化した仕組みになっているのだと思います。飛び級も落第も能力別編成も一切せず、真ん中近辺の6~8割程度の人にのみ焦点を絞った教育をして、これまで最良の成果をだしてきたのだと思います。
真ん中に優しい日本
私達が受けてきた学校の授業は、すごく分りやすい縮図だと思っています。
全体で均一な授業を行うことで、中位層には快適な教育環境が提供されています。一方、上位層には退屈だけれど我慢を強いていて、下位層にはついて行けないのは自助努力不足だと切り捨てています。
限られた税金を使って効率よく教育する以上、こうした社会設計が間違っているとは思いませんし、日本以外もこのような仕組みを取っている国は多いことでしょう。
全体として、社会全体の厚生は高いものになるでしょう。
これに対してアメリカ、特にシリコンバレーが成功した要因の一つは、こうやって世界中で切り捨てられてしまった優秀な層(はぐれもの)が世界中から集まり易い仕組みがあるからじゃないか、と思っています。
上辺に優しいアメリカ
優秀な層に優しくしてあげた結果、勝手に集まってきたというのが本当なんじゃないかな。そうだとしたら、うまいことやりましたよね。
私も、もしいま眼の前に優秀な若い子が居たとしたら、彼らの将来を考えてアメリカに渡ることを薦めると思いますもん。
一方でシリコンバレーのような優秀な人のための社会には同時に危うさも感じます。
これらの優秀な人は社会からはみ出しちゃった層で、本来ボリュームゾーンではないんですね。こうした両端の層に社会のリソースを割くということは、その分ボリュームゾーンへのリソースを減らすことになります。
社会全体としての幸せの量は、どうなんだろう。。。
優秀層に牽引されて全体の経済が伸びるなら良いですが、レーガノミクスで言われていたトリクルダウンと同じように、経済の恩恵は平均層まで行き渡らない気もします。
特に最近、シンガポールや上海やベルリンなどでも、同様に優秀な人材の誘致合戦が激しくなっています。そうすると、これらの国に住む平均的な人達は、生き辛くなってゆくんじゃないかな。
学生時代の専攻だった経済学は、ホッブズ的な功利主義(最大多数の最大幸福)がベースにある学問だったから、こうした特定層に偏った制度設計には怪しさを感じてしまうんですよね。
とは言え今みたいにイノベーション至上主義の社会だと、平均的な人が活躍する場を作るのは中々難しいのも事実だし。
本当に、どうしたら良いんでしょうかねぇ。